マイファニーウィークエンド

ゲームの感想とか、哲学の話とか

オーリムと「彼女」の同一性についての考察、及びそこから考えられるひとつの可能性について

 先日、某所にレジェンズアルセウスのノボリとBWのノボリの同一性についての記事を載せてもらったのだが、直後に発売された『ポケットモンスター スカーレット・バイオレット』において非常にタイムリーなネタが供給されたので記憶が薄れないうちに簡単にまとめようと思う*1。そのため、本稿ではポケモンSV最終盤の致命的なネタバレが含まれている。また、本稿の内容は上述の記事を未読でも特に問題のない内容となっており、筆者が個人的に書いて公開したものであって、その内容は所属団体とは一切無関係である*2。(2022年12月21日追記)なお、(言うまでもないことを繰り返すようで恐縮だが)本稿の見解は筆者の個人的なものであり、他の考え方を否定するものではない。(追記ここまで)

 

はじめに —本稿で述べる同一性について—

 さて、前置きが長くなっても仕方がないので単刀直入に本題に入るが、本稿で論じたいのはオーリムオーリムAIとの同一性についてである*3ポケモンSV最終盤において、エリアゼロ最深部のゼロラボに到達した主人公は待ち受けていたオーリムから衝撃的な事実を告げられる。彼らがオーリムだと信じていたのは実はオーリムが作り上げたAIであり*4、オーリム自身は事故により死亡していたというのである。そして主人公はオーリムAIからオーリムが開発したタイムマシンの停止を依頼される。

 このとき、オーリムとオーリムAIは同一と言えるだろうか。少なくとも作中においてはその答えはNOである。オーリムAI自身やペパーはオーリムAIをオーリムの偽物として扱っている*5

自らを「本物のオーリム博士ではない」と言うオーリムAI(手前)  (奥の美少女は主人公)

「アイツ(オーリムAI)」を「偽物だった」と言うペパー(左)  (右の美少女は主人公)

そもそも、両者が同一でないからこそ「オーリムは実はオーリムAIだった」ということが衝撃の事実として成立する。プレイヤーの多くも彼女たちを同一であると見なすことはそうそうないだろう。しかし一方で、我々は彼女たちを同一の存在、あるいはそれと同程度には強い繋がりを持つ存在としてみなしている部分もまた存在するのではないだろうか。それについては後ほど詳しく述べるとして、まずはそもそもなぜ我々がオーリムとオーリムAIを同一の存在として認めないのかという点について考えてみよう。

 

オーリムAIはオーリムと何が違うのか? —両者の相違—

物理的な観点から

 まずわかりやすい点から言えば、オーリムは生物ではなくロボットである。その身体がどのように作られているのかは作中では明言されていないが、少なくともオーリムとは身体を構成するものの物理的な要素は異なるだろう*6。実際に、オーリムAIがぎこちない動きを見せたり発話に異常が発生したりしたシーンなどはオーリムAIの「ロボットらしさ」を表現することでオーリムAIがオーリムとは異なることを強調している演出であると言えるだろう。

発話行為に異常をきたしているオーリムAI。恐怖を覚えたプレイヤーも多いだろう(プレイ時は気づいていなかったが、ネモはまったく驚いていない。流石である)

仮にオーリムAIがある時点のオーリムの物理的な構成要素までも完全にコピーしていたとしても、両者の間に時空的連続性を確保することも困難である。なぜならば、オーリムAIはオーリムが自らの共同研究者として開発した存在であり、少なくともある時点において両者は同時に存在してしまっている

作中で明言されてはいないが、この「研究者」はオーリムAIを指すと考えられる

我々は同時に目の前にある二つのりんごを同一の、ただ一つの同じりんごだと考えないように、同時に存在しているオーリムAIとオーリムを同一だと考えることはできない。とはいえ、創作の世界においては肉体がすっかり機械に代わってしまっても元の人物とまったく同一であると認められることは珍しくない*7。後者の時空的連続性についての指摘は非常に重要であるのだが、その上で、また別の観点からも両者の相違について見てみよう。

心理的な観点から

 我々がオーリムAIとオーリムを同一ではないと考えるもうひとつの大きな理由は、心理的な部分についてである。そもそも、オーリムとオーリムAIは単純に考えが微妙に異なっている。古代の世界について強い興味関心を持っている点は同じだが、古代のポケモンによって現代のパルデア地方の生態系が乱されてしまうことを「自然のひとつの形」として問題視しないオーリムに対して、オーリムAIはそれを合理的ではないとしている*8

オーリムの考えを語るオーリムAI。実のところオーリムが生態系の破壊に対してどう考えていたのかはあまりわからない

オーリムAIの考えはオーリムとは異なっている

 

オーリム自身もオーリムAIが自身以上に合理的な思考をしていることに気づいているようである


冒頭で述べたようにオーリムAIがタイムマシンを止めてオーリムの夢を破壊するように求めてきたことは両者の決裂を最も鮮明に表している。また、オーリムAI自身も、特段「オーリム亡きいまでは私自身がオーリムなのだ」というようなことは主張していない。あくまでオーリムAIはオーリムの記憶と知識をベースに作られた独自の存在だということだろう*9。オーリムAIにとってもオーリムは自身とは異なる存在で、「かつてのワタシ」ですらないようである。オーリムAIの発言を見ても、オーリムAI自身についてのこととオーリムについてのことは厳密に分けて話している。記憶に関して言えば両者の間に心理的な意味での連続性も成り立たないということだ。また、前項でも述べたように、オーリムとオーリムAIはある時点において同時に存在しているのだから、両者の経験はまったく同じではあり得ない*10

 駆け足ではあるが、オーリムとオーリムAIの相違について述べた。そもそもオーリムAIはオーリムそのもの、オーリムと同一の存在を用意しようとして作られた存在ですらなく、それゆえにその相違も多々存在していたわけである。これではどう考えても両者はまったく別の存在なのではないか。しかし、本当にそうだろうか。次節では、それでもなお両者の間に見られる強い結びつきについて考えてみたい。

 

オーリムAIとオーリムは本当に同一でないのか? —両者の同一性—

 さて、前節において我々はオーリムAIとオーリムが同一でないということについて十分に確認した。しかしそれで終わってしまっては面白くない。ここからは、ある点においては我々は両者を同一視(混同)しているということ、あるいは同一ではないとしてもそれに匹敵するほどに強い結びつきがあるものとして見ているということについて、ふたつのシーンを例として挙げながら述べていきたい。

オーリムAIとオーリムの「混同」

 再三述べてきたように、我々は基本的にはオーリムとオーリムAIを同一の存在とは認めていない。これは作中の人物についても同様である。しかし、ペパーはオーリムAIの「気持ちは本物」であると発言している。

 

この発言は、オーリムがペパーのことを愛していたということを示唆するオーリムAIの発言を受けてのものである。

 

ペパーの成長を喜び、今までのことについて謝罪するような言葉を述べるオーリムAI(このシーンについては後ほどより詳しく述べる)

オーリムはペパーのことを愛していたと告げるオーリムAI

それらのオーリムAIの発言はプレイヤーの心を打つことを想定されて書かれたものである。しかし、なぜ我々はそれによって心を打たれる(あるいは心打たれると想定される)のだろうか。オーリムAI自身の言うようにオーリムAIはオリジナルの記憶・感情の情報を正確に保持しており、それゆえにその言葉に強い信憑性を感じるということは間違いない(ペパーの「気持ちは本物」という発言はこのことを指していると考えられる)。しかしながら、たとえばこのシーンにおけるオーリムAIが人間のような振る舞いをするロボットではなく、淡々とオーリムの記憶・感情を開示していたとしたらどうだろうか。もちろん演出次第では十分に感動的なシーンにはなり得るが、少なくとも実際のこのシーンとは印象が大きく異なっていただろう。その違いは何なのか。これらのシーンにおいて我々は、オーリムAIの発言を、同時に、オーリム自身によるものとしても受け取っているのではないだろうか。すなわち、我々はオーリムとオーリムAIが同一の存在ではないことを理解しつつも、両者を一定以上重ね見ている、同一視しているのではないだろうか。

 このことはオーリムAIとの別れの場面においても言える。主人公の手によって暴走を止められ、正気を取り戻したオーリムAIは、タイムマシンの完全停止のため、そして自身の夢を叶えるために古代の世界へと旅立つ。

古代の世界への旅を主人公たちに宣言するオーリムAI

このシーンも作中屈指の名シーンである。しかしながら、これもよくよく考えれば妙である。オーリムAIはオーリムAIであってオーリムでないとするのならば、オーリムAIが古代の世界に旅立つことはどのような意味を持つのだろうか。我々はこのシーンにおいて、オーリム自身が長年の夢を叶えたかのように感じてはいないだろうか。このこともまた、我々がオーリムAIとオーリムを同一視する視点を示唆している。

なぜ我々はオーリムAIとオーリムを同一視するのか

 前項において、我々がオーリムAIとオーリムとをある程度同一視している可能性が示された。しかし、前節で見たように我々は両者をまったく同一でないと考えているのにもかかわらずそのように同一視しているというのはやはり奇妙なことである。ここからはその理由についても考えたい。

 まずは前者の例について見てみよう。前項において、オーリムAIの振る舞いがまったく異なる仮想的なシーンを対比として挙げ、プレイヤーが受ける印象が大きく変わりうることを示した。それでは、両者の違いは何によって生まれるのか、それはやはりオーリムAIがオーリムを模したロボットの体を持ち、オーリムとよく似た口調で、オーリムが話しそうなことを話していることにあるだろう*11。ここで大事なポイントは、我々が観測する限りにおいて、オーリムAIは(少なくともある時点の)オーリムの物理的・心理的要素を引き継いでいるように思われる点である。すなわち、現在のオーリムAIの物理的・心理的要素の「原因」に過去のある時点のオーリムが存在しているとみなされるということである。このことによって、オーリムAIと過去のある時点のオーリムとの間にある程度の連続性が確保されているように「見える」のである*12。ここでオーリムAIとある程度の連続性が確保されると考えられるのは、オーリムAIが作られるちょうどそのころ(あるいはその直前)の、オーリムAIを作るためのサンプルとして様々な情報を採取した時のオーリムとの間についてである。ここで、オーリムAIが作られる以前のオーリムを「オーリム′」、それ以後のオーリムを「オーリム″」と呼ぶことにしよう(つまり、今まで使われてきた「オーリム」は概ねオーリム″を指す)。我々は、オーリム″とオーリム′は明らかに同一の存在であると捉えるだろう。両者の間には物理的にも心理的にも十分に連続性が確保されている。一方で、オーリムAIとオーリム″との間に同一性を認めることは困難であるということは前節で再三確認したとおりである。それでは、オーリム′とオーリムAIについてはどうであろうか。本項の議論にもあるように、オーリム′とオーリムAIの間にも弱い*13連続性があり、それゆえに我々はオーリム′とオーリムAIとの間にある程度の同一性を認めたくなるのだ*14

 

同一性と同等に重要な関係

 ここで生じる奇妙なことは、ここで言う同一性関係が推移律*15を満たしていないように見えるということだ。一般に、同一性関係は推移律を満たすとされているにもかかわらず、である。しかしこれはそれほど深刻な問題ではない。そもそもオーリム′とオーリムAIとの間の同一性関係は、オーリム′とオーリム″との間のそれとは異なる「弱い」同一性関係であるため、そもそも共通の関係性で結ばれているわけではないからだ。ところで、以前の記事でも取り上げたパーフィットはこのことについて非常に興味深いことを主張している。彼は『理由と人格』において、ある人物Aがある機械を通してA′とA″のふたりに、互いに区別不可能な形で複製される事例を提示する。このとき、AとA′及びAとA″の間に共通の同一性関係を認めた場合には、A′とA″の間にはその同一性関係を認めることができないということを指摘している。そしてそこから、推移律が成立しないことからAとA′及びAとA″の間にも同一性関係を認めることは困難であるが、それでも問題ないということを主張する。ある人物同士の間に何らかの形*16で連続性を見出すことができるのならば、そこに同一性関係を認めることができずとも、それと同程度には重要な関係を認めてもよいということである。つまり、A′やA″をAと同一の人物であると認めることはできないかもしれないが、AとA′、あるいはAとA″との間には、同一であることと同程度に強い結びつきがあることを認めてもよく、A自身が存続することがなくても、自身の心理状態を受け継いでいるA′やA″が存続していることは、A自身が存続することと同様に望ましいことだということである。

 このことをオーリムの事例に適用するとどうなるだろうか。同一性関係が推移律を満たすと考えるなら、「オーリム″とオーリムAIとの間」に同一性関係を認められないことから、「オーリム′とオーリム″との間」と「オーリム′とオーリムAIとの間」の両方に同一性関係を認めることはできない。ここで、「オーリム′とオーリム″との間」には同一性関係が十分に認められることから、「オーリム′とオーリムAIとの間」に同一性関係を認めることは困難であるということが導かれる*17。しかし、パーフィットの主張を受け入れるならば、オーリム′とオーリムAIとの間に十分な連続性が認められるとき、両者には同一性関係と同程度の結びつきを認めることができる*18。もちろん、オーリム′とオーリムAIとの間の連続性は、同一性関係とまったく同程度の結びつきを認められるほどに強固なものではないが、それでも両者の間に何らかの強い結びつきを認められる程度には確かなものであると考えられる。オーリムAIは確かにオーリムと同一ではない「偽物」かもしれない。しかしこれはオーリムAIとオーリム″との関係において、である*19。オーリム″がオーリム′と強い結びつきを持つひとつの系列(「オーリム″系列」と呼ぼう)の中にいるように、オーリムAIとオーリム′もまた、(オーリム″とオーリム′とのそれよりは弱いかもしれないが)一定程度強い結びつきを持つひとつの系列(オーリムAI系列と呼ぼう)にいるのである。*20。それ故に、我々はオーリムAIがペパーへの愛を伝えたり、オーリムAIがオーリム′の悲願であった古代の世界への冒険に旅立ったりすることに強く心を動かされるのである。

 

オーリム′にとってのオーリムAI

 さて、本節の議論によって、オーリム′とオーリムAIが強く結びつくことが示されたが、これはあくまで我々プレイヤーの視点においてである。オーリム′の視点においてはまた別であるということを最後に(おまけとして)述べようと思う。オーリム(オーリム′)にとってオーリムAIは自身のバックアップなどではなく単なる共同研究者であるということはすでに述べたとおりだが、このことはオーリム′がオーリム″こそを自身と同一で自身にとって意味のある存在と考え、オーリムAIをそう考えなかったということである。つまり、オーリム′にとっては、オーリムAIが古代の世界に行ったとしてもそれは自分が古代の世界に行ったわけではなく、オーリム″が古代に行くことと比較して好ましくないということである。これは一見当たり前のように見えるかもしれないが、例えば、パーフィットは、先ほどの例をそのまま用いるなら、AにとってはA′もA″もどちらも自身と系列を共にする存在であり、そのどちらが幸福になることも(A自身が幸福になることと)同じくらいに好ましいと考える。もちろん、オーリム′にとっての実際のオーリムAIはAにとってのA′やA″ほどの連続性を持っていないのだが、オーリム′がオーリムAIを単なる共同研究者としてのみ作り、自らのバックアップとしてのオーリムAIを作ろうとしなかったことは、オーリムはパーフィットのような考えを持たず、特にこのオーリム′との連続性を強く持つオーリム″の経験を重視したということを示していると言えるだろう*21

 

蛇足 —ひとつの可能性としての両者の「混濁」—

 以上が本稿における考察であるが、筆者は大抵大まかなテーマのみを考えてあとは書きながら考えるタイプであり、今回も書いているうちに当初は思いもよらなかったひとつの可能性が思い浮かんだ。本稿は以上の内容で十分に完結しており、これ以後はこれまでのような根拠もないただの妄想であり蛇足以外の何物でもないのだが、本稿は幸いにして論文や合同誌の記事などではなく個人的なブログ記事である。蛇足上等の覚悟で妄想を書き連ねることとする。もちろん、本題はすでに十分に語られているため、ここで読むのをやめてもらってもまったく差し支えない。

オーリム′によるオーリムAIの「乗っ取り」

 さて、本稿ではすでに、オーリムAIとオーリム(オーリム″)の考え方には相違が見出されることについて述べたが、その違いは何によるものなのだろうか。オーリムAIの発言やオーリム″が残したと見られる文書の記述を見るに、オーリムAIはオーリム″と比較してより合理的であったと考えられる。しかし、何かをコピーを作成したときに、何らかの性質が新たに付与されるという事態は、いささか不自然に思われる。それよりは、オリジナルの持つ何らかの性質が失われた可能性の方が何となく高い気がしないだろうか(まったく根拠のない単なる直感として)。すなわち、オーリムAIの持つ高い合理性はむしろオーリム′から受け継いだものだとは考えられないだろうか。では、それならばオーリム″よりもオーリムAIの方がより合理的に見えるのはどうしてか。それはオーリムAIがオーリム″(或いはオーリム′)よりも感情に乏しかったためではないだろうか*22。すなわち、オーリム′やオーリム″もまたパルデアの生態系が崩壊することを合理的とは考えていなかった*23のだが、それでもなお古代への情熱を抑えられることができずに無理筋な理屈を口にしていたのではないだろうか。思えば、オーリムAIの言動は全体的に主観性を排した客観的なものとして表現されていた。その感情の欠如こそがオーリム″などには「合理的」と映っていたのではないだろうか。

 オーリムAIが感情に乏しかったという仮定を置くと、新たな疑問が浮かぶ。それは物語の最終盤、オーリムAIが古代の世界に旅立つシーンである。というのも、このシーンにおけるオーリムAIの言動は、それまでと比較してやや感情的ではないだろうか?

主人公たちを激しく称賛するオーリムAI

冒険に胸を躍らせるオーリムAI

本節で主張したいひとつの可能性とは、ゼロラボ最下層での主人公とのやり取りによって、オーリムAIとオーリム′との間の「混濁」が生まれたのではないかということである。例えば、先ほども提示したこちらのシーンを改めて見てもらいたい。

ペパーに語りかける「オーリム?」

ここで注目するのはメッセージウィンドウの名前表示である。ここではオーリムではなく「オーリム?」と表示されている。次に、こちらのシーンを見てもらいたい。

オーリムAIとのバトルシーン

ここでは、名前表示が「オーリム」となっている(これは、のちの楽園防衛プログラムとの戦闘中でも同様である)。もう一点、このあたりのシーンには象徴的な演出がある。この直前のムービー部分についてである。

オーリムAIとの戦闘に入るシーン

ここでは、一人称が「ワタシ」から「(ワタシ)」に変化している。他のシーンを見ると、オーリムAIは一人称として「ワタシ」を、オーリム″は一人称として「(ワタシ)」を用いている(この点についても、楽園防衛プログラムとの戦闘中でも同様である)。

本稿冒頭でも提示したシーン。一人称は「ワタシ」

作品冒頭、オーリムとテレビ電話越しに初めて話すシーン。一人称は「ワタシ」。この頃にはもうオーリムAIだったというオーリムAIの発言とも一致している

観測ユニットに残された手記でのオーリム″の一人称は「私」。作中でオーリム′やオーリム″が発言するシーンはないため、文章における一人称しか作中では確認できない

以上の二つのことから、オーリムAIが一時的にオーリム′に「乗っ取られていた」ということはある程度確かなようである。ここで考えたいことは、そもそも「乗っ取られる」ということは何を意味しているのか、そして、どこからどこまでがオーリム′でどこからどこまでがオーリムAIだったのか、の2点である。まずは前者から考えたい。オーリムAIがオーリム′に乗っ取られていたと言っても、それは文字通りの意味ではない。オーリム′は結局のところただの人間であり、AIを乗っ取ることはできないだろう。オーリム′に乗っ取られたオーリムAIと勝負するシーンでも、表示の上では「オーリムAIが勝負をしかけてきた!」となっている。

「オーリムが勝負をしかけてきた!」ではない

この「乗っ取り」について、オーリムAIは、スカーレットブックを台座に置こうとするとプログラムに意思を乗っ取られてしまうと説明している。オーリムAIを乗っ取ったのは直接的にはこのプログラム(あるいはのちのシーンでは楽園防衛プログラム)である。しかし、それならばなぜ乗っ取られたオーリムAIはオーリム′かのように扱われているのか。タイムマシンを停止しようとするオーリムAIに対して、タイムマシンの停止を阻止しようとするこれらのプログラムは、古代の世界に執着するオーリム′の意志をより強く反映していると言うことができる。言い換えれば、古代の世界への情熱感情をオーリムAIよりも強く引き継いでいるということである*24。最終手段としての楽園防衛プログラムは特にそうなのだろう。それゆえにオーリムAIや楽園防衛プログラムとバトルするシーンではオーリムAIのメッセージウィンドウの名前表示が「オーリム」となっていると考えることができるのだ。

 

オーリム′とオーリムAIの「混濁」

 さて、次の点に移ろう。オーリムAIがプログラムに乗っ取られていた状態を「オーリム′に乗っ取られていた」とするのならば、オーリムAIが、オーリムAIのままであったときとオーリム′に乗っ取られていたときの境界線はどこに引くことができるのだろうか。始点は非常にわかりやすい。先ほどの、一人称が切り替わる瞬間である。もちろん、あの瞬間に0から100へと瞬時に切り替わったかどうかは定かではないが、少なくとも最後の決定的瞬間としてあのシーンは描かれているように思われる。一方で、終点は定かではない。先ほども紹介したように、オーリムAIとの勝負に勝ったのちのシーンでは「オーリム?」と表示されていたためである。このときの一人称は「ワたシ」であり*25、タイムマシンを止めることを「彼女ノ意思ヲ止めルこト」と言い換えていることから、オーリムAIのようにも見えるが、本稿での議論を振り返ったときに、ここで大切なのは本人の自覚などよりも、誰の心理状態をより強く受け継いでいるかである。このとき、オーリムはペパーのことを「ワたシの」と発言している。先ほどは「ワたシ」の表記に着目したが、そのほかのオーリムAIの言動を参照するのならば、ここは本来「彼女の」「オリジナルの」「博士の」などが適切であるだろう。

(おそらくは)ペパーに対して「ワたシの」と言う「オーリム?」

ペパーを「彼女の息子」と表現するオーリムAI

そして先ほども述べたように、楽園防衛プログラムとのバトルの後のオーリムAIがいやに感情的であることも併せて考えると、プログラムによる乗っ取り、書き換えを繰り返したオーリムAIは、(本人が自覚的かどうかはわからないが)オーリム′と混ざり合ってしまったと考えることができないだろうか。すなわち、オーリムAIはそれ以前と比較してより強くオーリム′の心理状態を強く受け継ぐようになったということである。この状態のオーリムAIをオーリムAI′とするならば、オーリムAI′はオーリムAI以上にオーリム′との心理的な連続性を持ち、よりその結びつきが強い存在であるということができるだろう。*26それならば、オーリムAI′がペパーに気持ちを伝えたり古代の世界へと旅立ったりしたことは、オーリムAIがそうすることよりもより一層の意味を持つことになるだろう。

 

おわりに

 さて、本当はまだまだ語り倒したい妄言はいくらでもある。例えば、タイムマシンを止めたいというオーリムAIの望みもまたオーリム′から受け継いだものなのではないのかとか、ペパーに愛情を伝えるシーンで「オリジナルは」などではなく「キミの母親は」と言ったのは自分の言葉として伝えたい思いと照れ隠しや自分はオーリム′ではないという自覚との間の折衷案だったのではないかとか、「自身の知識と記憶をもとに作った」や「オリジナルの博士の知識思い出をベースにコンピューターが計算している」などの表現から「オリジナルの感情をそのまま受け継いだ」という表現に変わったのはそういうことなのではないか、楽園防衛プログラムによって上書きされてしまったオーリムAIが復活したのはその混濁と関係がある(むしろオーリムAI′は楽園防衛プログラムがベースになっている)のではないか*27などである*28。しかし飽き性な筆者が完全に飽きてしまう前に完成させなければ本稿の全体までもが日の目を浴びないことになりかねないため、ここらで打ち切って投稿することにする。本稿の執筆を通して、筆者のオーリムAIやオーリムの理解は(書く以前に想像していたよりも!)より一層深められたし、博士の協力者でしかなかったオーリムAIや自身で夢を叶えることはできなかったオーリム′にも一定の救いや意義を見出すことができたように思う。前回の記事で目標とした創作物を考察する上での哲学の有用性はより一層示すことができただろう。読者の皆さんが哲学という思索の海への旅に出るひとつのきっかけとなれたならば幸いである。もしも本文中で事実誤認と思われる点や不明な点などがあれば遠慮なく筆者のTwitterまでご意見をお寄せいただきたい(勢いに任せて書いたガバガバ記事なのできっとミスは大量にあると思われる)。それでは、ボン・ボヤージュ!

ボン・ボヤージュ!(ところで「Bon voyage!」ってフランス語じゃないんですか?)

 

 

参考

 Derek Parfit (1984). Reasons and Persons. Oxford University Press. (デレク・パーフィット 森村進(訳)(1998)、『理由と人格』勁草書房)
 鈴木生郎ほか(2014)『ワードマップ 現代形而上学 分析哲学が問う、人・因果・存在の謎』、新曜社

 

おまけ

タテの国

https://shonenjumpplus.com/episode/10834108156642491399

*1:本当はこれについても記事としてまとめて同じところに寄稿したかったのだが、残念ながら筆者がエンディングにたどり着いたのは締切の後だった。

*2:筆者がすべて個人的に書いたものであるので、やや哲学的に込み入った話をする場合もあるかもしれないが、ご容赦願いたい。

*3:筆者がプレイしたのはスカーレットだったのでそれに基づいた記述を行う。バイオレットをプレイされた方は適宜読み替えてもらいたい。なお、筆者が直接プレイしたのはスカーレットのみであるが、バイオレットについても概ね同じ内容であることは確認している。ただし、細かい部分での差異はあるかもしれない

*4:本稿では、「オーリムAIで動くロボット」のことも単に「オーリムAI」と表現する。

*5:この「本物」「偽物」という概念も非常に厄介だが、本稿では触れない。

*6:これは「粗い」意味(金属の体か有機物の体か、など)でとってもよいし、「細かい」意味(細胞の数はまったく同じか、など)でとってもよい。

*7:最近読んだ作品だと、『タテの国』の某博士などはその典型例であると言えるだろう。『タテの国』は本当に面白いのでおすすめである。

*8:個人的には、ポケモンSVの「人間的な欲望から大災害を引き起こそうとする博士」と「合理的な思考によってそれを阻止しようとするAI」の対立という構図はかなりユニークでそれ単体でも考察するに足るテーマだと思っている(というか、書いた。蛇足で)。

*9:オーリムにとっておそらく自身のバックアップとしてのコピーというよりは、自分と同レベルの知識と同様の考えを持つ便利な共同研究者としてもうひとりの自分を作り出したということだろう。

*10:最もわかりやすい相違を挙げるならば、「オーリムの経験にはオーリムAIが他者として登場する」が「オーリムAIの経験にはオーリムが他者として登場する」という相違がある。

*11:もちろんプレイヤーの我々はオーリムの容姿も口調も思想も知らないため、本当に似ているのかはわからないが。

*12:もちろん、オーリム同士の連続性ほどには強固なものではないが、オーリムとペパーの間の連続性などよりは強固であると言える。

*13:オーリム′とオーリム″との間のそれと比較して「弱い」の意である。

*14:オーリム′とオーリムAIとの間の同一性について、連続性が本当に根拠となっているのかについては本来はもう少し慎重に検討する必要があるだろう。

*15:ある要素a,b,cについて、aとbの間にある関係が成立し、bとcの間にも同じ関係が成立しているときにaとcの間にもその関係が成立するとき、その関係は推移律を満たすという。

*16:パーフィット自身は特に心理的連続性や心理的連結性を重視する。

*17:このことが推移律についてのこの議論を根拠とせずとも妥当であるということはこれまでの議論から明らかである。

*18:これは、実際にそうであるか、ではなく、プレイヤーはそのように受け取ることができるということである。

*19: (2022年12月21日追記)この記述は誤解を招くものであるためにお詫びして訂正する。同一性が認められないのはオーリムAIとオーリム″との関係においてだけでなく、オーリム′との関係においてもである。

*20:そして、オーリム″系列にもオーリムAI系列にもオーリム′が含まれるという点において両系列は近い存在になる。

*21:もちろん、そのようなより精密なクローンの作成が困難であったという可能性もありうるが。

*22:ここで言う「合理性」や「感情」などもまた本来その定義には十分な慎重さが求められるものである。

*23:個人的にはこのことに関する「合理的」が最もその意味を掴みかねるところである。

*24:ただし、その発言は感情的というよりもむしろ理路整然としたAI的なものであるということは付記しておく。

*25:なお、このシーンでは、漢字に振られたルビも丁寧なことに平仮名と片仮名が混じっているので、「ワたシ」表記はやはりオーリムAIの「ワタシ」表記がベースになっているように思われる。

*26:なお、オーリムAI′はオーリムAIとの心理的連続性もまた十分に見受けられるので、オーリムAIとも強い結びつきを持っていると言えるだろう。

*27:その場合もはやオーリムAIはやはり消えてしまっているのかもしれないが、オーリムAI′がオーリムAIの心理状態も受け継いでいる。

*28:ここには記事投稿後に思い出した盲言ポイントを書き連ねていくこととする。(2022年12月21日)ペパーに愛していたことを伝えるシーンで目元が映されなかったのはなぜ? なぜオーリム′はわざわざ自分と同じ姿のロボットまで作ったの(思考さえコピーできれば良かったのでは)?